浮牛城まつり

第1回浮牛城まつり 開催要項

目的

第1回浮牛城まつりポスター浮牛城は、安部貞任が築城し、城の名前は牛三頭を生き埋めにして地鎮したことに由来し、伊達藩が重要な館として指定した「要害の一つ」で、元禄八年(一六九五年)に家臣中島監物利成公が城主となり、明治維新の廃藩置県まで南部(盛岡)藩堺を警備したと伝わるなど、口内の重要な歴史遺産である。

『口内町振興計画』(平成13年2月)による“口内を代表するイベント”を、「浮牛城に関わる歴史的文化と多数伝承されてきている民俗芸能は、地域の誇りであり、後世に伝えたい口内を象徴する歴史的資源である。」との視点にたった事業として、浮牛城主中島公が慶応二年(一八六六年)に仙台から口内に戻った際の行列の再現などを展開し、住民自ら地域文化への理解を深め、世代や地域を超えた人との交流を図り地域の活力を醸成する。

名称

伊達藩最北のまち 口内 『第1回浮牛城まつり』

期間

平成19年8月16日(木)午後2時~午後3時30分
※雨天決行(会場変更あり)

会場

浮牛城趾公園・口内小体育館・口内町内

主催

口内町自治協議会(口内地区交流センター)

後援

北上市、北上市教育委員会、北上観光協会、(株)岩手日報社事業局、朝日新聞盛岡総局、毎日新聞盛岡支局、読売新聞盛岡支局、河北新報社、岩手日日新聞社、産経新聞盛岡支局、IBC岩手放送、テレビ岩手、北上ケーブルテレビ(株)、NHK盛岡放送局、めんこいテレビ、岩手朝日テレビ、和賀有線テレビ(株)、(株)エフエム岩手

共催

口内町行政区長会、口内町自治公民館連絡協議会、口内町民俗芸能保存会、大名行列保存会、浮牛城を語る会、口内町史談会、あぐり夢くちない

協力

口内町婦人会、口内町交通安全協議会、口内町防犯隊、消防団、北上市老人クラブ連合会口内支部、北上市立口内小学校、北上市立口内保育園

主管

第1回浮牛城まつり実行委員会

実施内容

  1. 大名行列
  2. 民俗芸能パレード
  3. 芸能公演 (第24回口内町民俗芸能発表会)
  4. 企画展示
  5. 浮牛城を語る会
  6. くちない地産市

経費

この行事の経費は、補助金、負担金、寄付金、広告費及びその他の収入をもって充てる。

事務局

この行事の事務局は口内地区交流センター内に置く。

浮牛城まつり開催ちらし

第1回浮牛城まつりチラシ

ちらし表面(pdfファイル)

ちらし裏面(pdfファイル)

民俗芸能公演のタイムテーブルや、大名行列コースなど、催し物に関する内容を掲載しております。

また、開催日当日の駐車場や車道通行止め区域なども掲載しておりますので、浮牛城まつりへお越しの際は、交通ルートや駐車場の事前確認をお願いいたします。

浮牛城について一口メモ

浮牛城は、安倍貞任が築城し、城の名前は牛三頭を生き埋めにして地鎮したことに由来し、伊達藩が重要な館として指定した「要害の一つ」で、元禄八年(一六九五年)に家臣中島監物利成公が城主となり、廃藩置県が実施された明治四年七月十四日(一八七一年)に至るまでの百七十六年間にわたって統治していた。

(史談会等の資料より)

「浮牛城は、天正年間から地頭が居住しそれ以前は不明である。

場所は松坂で口内川のほとりに独立した小山である。山上は東西一一〇米、南北九〇米程で平場は本丸である。更にそのまんなかは一段と高く壇が築かれ武彦命が祀られている。本丸をとりまく形に二段の壇がまわり、東南部が広く当時は家老、重臣たちの屋敷が数多く構えていた所でした。

今でも俗称している折笠氏の西門、土門と称する大滝氏(実際は東門に当たる)、お二の丸と呼ばれている大塚氏、お西と呼ばれる武田氏(空家)の屋敷等いずれも往古を伝えている。また、南西には口内川に通ずる水濠があり、今もその残影が芦、よしきりの安住の地となっている。南面だけでなく四周濠を巡らし、北西は二重の空濠であった。この舘城は要約すると高さ三〇米、東西二〇〇米、南北一三〇米ほどの平城形式といえる。」

(中嶋公転封三百年記念誌 伊東金次郎氏より)